焼津では1970年代に急速に機械化が進んだことによって従来の伝統的な技法による鰹節の製造が減少していきました。このままでは伝統的な技術が失われてしまう、基本無くして発展することはないという考えのもとで伝統的な技術を若い世代に伝えるための技術指導の場として鰹節研鑽会が1983年に発足しました。
鰹節の歴史は古く、製法に変化はあれども1300年前からずっと今に続いています。それだけ鰹節には魅力があるし機械化によって失うわけにはいかないのです。
機械化によって包丁を使わず鰹を捌くことによって大量生産に対応することは出来ますが、形を整えて切断することが出来ないためにカビで長期間熟成させた本枯節を作ることも出来ません。
残念ながら現在は流通の9割がカビで長期間熟成させていない荒節となってしまっています。めんつゆやだしパックへと需要がシフトしていったために形はこだわらないためです。
1960年代から70年代は、機械化のみならず新幹線や東名高速道路の開通によって流通が大きく変化したために、需要も大量生産へと大きく変わっていった時代でした。